お互いの「枠」を見つけるために私たちにできること

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今朝、嫌な夢を見た。

大学時代大キライだった奴が、「何言われても、明日から新しい体制に変えちゃうんだよなぁ〜」と急に言い始める夢。

学生の時入っていた部活動で、4年生になった頃から「今のままの体制じゃ勝てない!」と改革を訴える人たちが出てきた。その2、3人の人達が、1番に手をつけたのが私たちマネージャーの意識改革。多分、1番口を挟みやすかったんだと思う。ポジションごとに勝手に担当のマネージャーを決められたり、選手のタイミングでマッサージを要求されたり。つまり、なんでも選手ファーストに変えていこうとする動きが始まった。1、2年生達は素直に従い、不満を言いそうな(実際に言った)3、4年生マネージャー達は、たいして話し合いの場も求められず、卒業するまで今まで通りの体制でいいよという話で落ち着いてしまった。

この時期の夢。もう、心底嫌な気持ちで目が覚めた、今日の朝である。

 

苦い思い出が溢れる学生時代・・・

この時改革を始めた人たちは「部活に所属する限り、マネージャーは選手につくすべきだろう」とよく言っていた気がする。でも私が知る限り、この4年間で自分も部活動に学生時代の大半の時間や労力を注いできたし、先輩達もそうだった。今まで選手から見えないところで頑張って支えてきた存在に寄り添うでもなく、ただ否定する。それが何より腹立たしくて、悲しかったのだ。なんのために、自分はこの部活に心身を注いできたのだろう。そういう思いが卒業するまでずーっとついて回った。あと1年だからと踏ん張ったが、こんなことならさっさとやめとけばよかったと、何度思ったことだろう。「4年生なのにやる気がない」と言ってくる後輩もいたり、思い出せばなんとも苦々しい思い出ばかりな気がする。

 

「尽くす」ってどういうこと?

そもそも、「尽くす」ってなんだろう?国語辞典では、「尽くす=他の者のために精一杯働いたり努力したりする」ことだそうだ。はたしてそれは、なんでも相手都合に合わせて自分を変えていくことなんだろうか?はっきり言えるのは、「尽くす」というのは自発的なものであって、「自分に尽くせ」なんて相手に強要するようなことではないということ。 

「部活動のため」「家族のため」「会社のため」「組織のため」「社会のため」「子どものため」「将来のため」。そんな風に大義名分を掲げて、自分の都合のいいように人を変えようとする人が少なからずいる。人の行動を批判して、さも自分の考えが正論のように主張してくる人。こういう人が、私は昔から大嫌いだ。この時の経験で、余計にキライになったような気さえする。

誰だって、自分の都合がある。それでも関わっている世界の中で自分にできることはないか、自分の都合と折り合いをつけながら、何かしら考えて動いているものだ。それを自分の考えと違うからという理由で端から切り捨てる。これって、誰が笑顔になれるんだろう?こんな傷つくだけの世界、絶対いやだ。

 

声には出せなくても、見ていてくれる人はちゃんといる

私が悲しかったのは、さも部活の代表者として話す数人を除いた他の選手が、様子を見るだけだったこと。今まで一緒に頑張ってきたと思っていたのはどうも自分だけだったのかと、本当はマネージャーに不満ばかりだったのかと、そんな風に自信がなくなった。たった数人の意見を、信じそうになっていた。

でも、最終試合の数日前のこと。今までダンマリを決め込んでいた他の4回生の選手達が、「今まで支えてくれてありがとう」とプレゼントをくれたのだ。「ありがとう」と言われると、素直に嬉しかった。それよりも、声には出せなくても、自分のことをちゃんと認めてくれた人達はいたんだということが、もっと嬉しかった。

声が大きい人の意見って目立つから、あたかも全体の意見のように聞こえやすい。でも、黙っている人たちが同じことを考えているわけじゃない。

 

お互いの枠を知るために、言葉を交せる人でありたい

私たちはそれぞれ違う枠の中で生きている。お互いの枠が重なる部分を見つけるには、たくさん話をするしかない。声をあげる人も、様子をみている人も、どちらも同じ意見だとは限らない。だから言葉を交わす場を作るって大事なんだと思う。今までのお互いの努力を知って一旦認めた上で、「じゃあこれからどうしたらもっと良くなるかな?」って聞き合えたらいい。

正直、話し合うってめちゃくちゃめんどくさい。すっとばして自分の意見を通したり、人の意見に従った方が絶対ラクで簡単だ。それでも言葉を交わすのは、お互いの着地点を見つけるこの作業が、お互いの関係を深めると思うから。大義名分のためじゃなくて、目の前の人たちに目線を向けて、自分たちに合う関係を築けたら、きっとみんなが幸せに向かっていけるんじゃないかな。

相手のことを知った上で、より良いやり方を一緒に探っていける人になりたいし、そういう人達と出会っていけたらいいと思う。

 

思い通りにいかないことの中に、幸せのヒントがあるのかも

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今朝の悪夢が、こうして考えていくと一つの学びに変わった。幸せなことだけ起こればいいけど、人生ってそうもいかない。けど振り返れば、この経験から幸せに生きるヒントもらったような気がしてきた。「あの時の私、よく頑張ってたな」と改めて昔の自分を褒めてあげよう。そして、のんびりコーヒーでも飲んで、また新しい1日に向き合っていこう。