私がカジュアルな服を選ぶ理由

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先日娘達を連れて散歩していたら、ハッと驚くほどきれいな女性に出会った。 

ノースリーブの黒ブラウスにミントグリーンのパンツに、小ぶりのハンドバックと黒の華奢なハイヒールのパンブス。オフィスカジュアルはのどかな住宅街には不釣り合いだったが、手足も長く大人っぽい彼女にはよく似合っていた。

昼過ぎに小さな男の子の手を引いて歩いているということは、きっと彼女も専業主婦なのだろう。品よく麦わら帽子を被った男の子はうちの娘と同じ3歳くらいで、母親に寄り添って静かに歩いていた。

彼女と離れた後、ふと自分の服装が気になった。Tシャツにジーンズ、歩きやすいサンダル。大きめのトートバックに、上半身を覆う抱っこ紐+赤子。

隣の娘は母の手を振り払い、親友のうさぎちゃんを抱えてフラフラとマイペースに歩いている。

子どもが1人だったら、大人しく歩ける子だったら、私もヒールが履けるのに・・・。

彼女と比べて所帯じみた自分の姿に、思わずため息がこぼれた。

 

仕事をやめ専業主婦になり、子育てが始まってから、服装がどんどんカジュアルになっていった。子どもが2人になった今、カジュアル化にさらに拍車がかかっている。

OL時代はオフィスカジュアルが基本だったので、華奢なパンブスやブラウス、タイトスカートがクローゼットに並んでいたが、妊娠と同時にほとんど処分した。今はTシャツとジーンズが私のクローゼットを占領している。

服を買う時も、子どもに引っ張られても大丈夫とか、洗濯機でじゃぶじゃぶ洗えるとか、デザインより機能性にこだわるようになった。

服がカジュアルな分、メイクやアクセサリーに気を遣うようにしているが、やっぱりきちんと整った格好の女性を見かけると、いいなぁ・・・と羨ましく思ってしまう。

それどころか、女らしさより動きやすさを優先している自分と比べて、なんだか女性として負けているような、恥ずかしいような気持ちになってくるのだ。

 

公園に向かいながら、どうにかして彼女のような大人っぽいおしゃれができないかと考えていたら、ふと気がついたことがある。

そもそも今の私に、女性らしい服は必要?

答えは「ノー」。

きっと出かける時の気分はいい。でも、服の汚れや乱れが気になって子どもに集中できないと思う。

ぺたんこなサンダルは、走り出した子どもをすぐさま追いかけるため。

洗いやすい服を選ぶのは、砂や泥の汚れだってドーンとこい!と受け止めるため。

女性らしさよりも機能性を重視するようになったのは、今の私の生活に合っていたからだ。

子ども達と一緒に公園にいって遊ぶ、その生活を楽しめるように、私はカジュアルな服を選ぶようになったんじゃないだろうか。

 そう考えていたら、女性としての劣等感が薄れていくような気がした。

もしかしたら彼女も、公園に行くときはTシャツにジーンズかも。

 

 

しばらく公園で遊んだ後に家へ向かっていると、先程の親子と再びすれ違った。

女性は先ほどと同じように男の子の手をつないで歩いていたが、反対の手にはコーヒーカップが増えている。あちらも気分転換の散歩だったのかもしれないな、と想像する。

今は、彼女を羨ましいとは感じない。

きっと私がカジュアルな服を選ぶのと、彼女がちょっとの散歩でもおしゃれをしている理由は同じ。子どもと機嫌よく過ごしたいから。

方法は違っても、我が子を育てるために彼女も私も踏ん張っているのだ。

 

一言も話してはいないけど、彼女を見て「私も頑張ろう」という気持ちになってきた。

私は私らしく、子ども達と過ごせればそれでいいのだ。

マイペースな娘達のように、私も自分のペースで母親をしていけたらいいかと思う。