自分の身体も心も一点もので、一生ものだから

天気のいい暖かい日が増え始めると、春の訪れを感じてそわそわしてくる。

日の出が早くなって早起きも楽しい。いい天気の日に家にこもるとなんだか勿体無い気がして、娘達と一緒に外に出ては、全身で太陽を浴びる心地よさを味わっている。

しかし、本格的に春が来るまでは、気温の差が激しい時期。陽気に誘われて薄着で外出したら夕方には肌寒さを感じたりと、うっかりすると体調を崩しやすいこの頃。ニュースでも「気温差疲れ」という言葉を聞いた。コロナもまだまだ油断できない。うららかな春を楽しむためにも、家族ともども体調管理には気をつけようと思っている。

妊娠して気がついた「心と身体はいつだってセット」

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まだ寒いけど娘との公園遊びも楽しい

昨年は妊娠していることもあり、本当に体調不良続きの1年だった。つわりで2ヶ月ほどまともに飲み食いできず、体重は一気に減った。落ち着いたと思えば今度はずっとお腹が苦しくて、食べたいのに喉を通らない。動けばすぐ胸が苦しくなったので、横になって休む時間が増えた。

身体と心は繋がっているようで、しんどい日が続くと心も動かなくなって、そのうち何をやっても楽しくなくなっていることに気がついた。なんとか抜け出そうとあれこれ試してみたが、大きくなっていくお腹を縮めることもできなければ、出産に向けて変化する身体にストップをかけることもできず、ただただ耐えしのぐ毎日。

やっとの思いで出産を終えた、その日の夕食。「好きなものが好きなだけ食べられるって、こんなに素晴らしい!」と感動し、あっという間に完食。その後も3食+お夜食全て残さずいただいた。

ちゃんとご飯を食べてゆっくりベットで休む。シンプルなことだけど、それだけで今までの無気力感が嘘のように、心に元気が湧いてくる。そのうち少しずつ、身体を整えようという気にもなってきた。子どもたちの健康には気を遣っていたけれど、自分を労ることをすっかり忘れていたことに気がついたのだ。

 

自分のものって後回しになりがちだけど

普段は意識してないけど、心が望むままに自由に生きるためには、心の乗り物である身体を大切に扱わないとな、と思う。

自分の身体ってスマホや車のように、古くなったからって取り替えることのできないもの。一生もので、一点もの。心がソフトだとすると、身体はハード。どちらが欠けても、動かない。

 

人のものだと気を配るのに、自分のものってなんで扱いが雑になりがちなんだろう?物も人も、自分の身体、心も、近いものであるほど後回しになりやすい。

でも、よく考えればいつも当たり前に目の前にあるものって全て誰かからのギフトだなぁと、最近思うようになった。今使っているパソコンやスマホ、着ている服もマグカップも、それを買うために使ったお金も、全て作ってくれた人達がいる。自分の身体や命だって、両親からの1番最初の贈り物だもの。

今当たり前のように「自分のもの」と思っているもの全てが、実は誰かから与えてもらったもので。そう思ったら感謝がむくむく湧いてきて、「もっと私の身体を労わりたい」そんな気持ちになったのだ。

 

これからも自由に生きていきたいから、よろしく、私の身体さん

産後1ヶ月を過ぎてから、身体のメンテナンスを始めた。歯や目の定期検査にいき、さらに健康への投資として骨盤矯正にも通い始めた。大きな問題もなく、今まで感じていたちょっとした不調も相談できたのでホッとしている。

これからもずっと付き合っていく私の身体。時々こうやって点検して、大事に扱っていこう。革製品みたいに、年を経るごとに味わいが出てくるような、そんな歳の重ね方ができればいいと思う。「いつもお疲れ様、これからもよろしく」そんな気持ちを込めて、自分を丸ごと大事にできるようにしたいものだ。t