出来事をどう捉えるかは自分次第で
今朝起きてカーテンを開けると、晴れやかな空が広がっていました。
きっと束の間のことだけど、お日様が出ているとそれだけで気分が晴れる気がします。
自分の名前に「晴」が入っているためか、私は晴れている日が好きです。雨の日が待ち遠しかったのは、中学校でバスケットボール部に入っていた2年半くらい。
外練の日、雨が降るとグラウンドが濡れて激しい走り込みが筋トレ(ほぼ自主練)に変わるんです。運動が好きじゃないくせに「かっこいいから」という理由でバスケ部に入っていた私は、外練の日に雨予報だと朝からウキウキしていました。
昔から「やめる」のが苦手です。
バスケ部も卒部まで続けたし、大学の部活も4年間続けて、新卒で入社した会社も結婚するまで3年間続けました。
やり始めて最初は目新しい世界にワクワクするんだけど、しばらくすると周りにもっと上手な人がいることに気がついたり、あんまり好きじゃないってことに気がついたりと、「楽しい」より「しんどい」の気持ちが大きくなって。
嫌だなぁ、苦しいなぁと思いながらでも続けたのは、続けることで何か得られるものがあるんじゃないかと思ったのと、単純に「やめます」っていう勇気がなかったから。
長く続けて得られるものって「忍耐」と「我慢強さ」だけで、耐えることに強くなっても自分を自由することはできないのに。そうネガティブに考えていました。
今だって子育て専業主婦生活から抜け出したいと思っていて、気持ちが溢れ出て「ここから抜け出したい」と考えてばかり。でも子育てはやめられないし、急に預け先ができるわけでもない。
またこうやって私は耐え続けるんだろうか?子育てを頑張ってその後、私には何が残るんだろう?
こんな気持ちが揺らぐ時期、ドラマや本の中のふとした「言葉」にビビッと反応しやすくなるような気がします。
先日見たドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の中にも、ちょっと気になる言葉があって。
社長業を辛いと言うまめこに、親友が言うんです。
「辛くてもできている。いるといないとでは大違い。それはあなたがやらなきゃいけない仕事なの。」
辛くても続けられている。それって実は、すごいことなのかも。
自分ごとで見れば苦しいけど、誰かの役には立ってることなのかも。
楽しいことよりも苦しいことの方が衝撃が大きいから、長く続けると辛い記憶の方が残りやすいんです。
でも、長く続けられたことをもう一度振り返ってみたら・・・。どれも楽しい思い出があって、人の繋がりができて、「やらなきゃよかった」と思うことは実は一つもないと気がつきました。
自分の中にコレといったスキルが身についたわけではないけど、目で見て体験したこと、出会った人との繋がりは、少しずつ私の中に積み重なっているはず。
子育てもずーっと続くものでもなく、いつかそのうちサラリと離れられる瞬間がくるのかもしれません。果てしなく続く真っ暗闇のように見える今が、「あの日があってよかったかも」と思えるようになる日がそのうち来るのかも。
そう信じてみるのが、もしかしたら暗いトンネルを抜け出る光になるのかもしれませんね。
出来事を変えることはできないけど、どうとらえるかは自分次第。
今日もお互い、良い1日を!