朝1番にワクワクする未来を想像してみると・・・

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天気がいい日に空を見上げると、自分の中にひっそりと眠っていた「何か」がヒョイっと飛び出てくることがある。

 

かれこれ8年ほど前、新卒で銀行に入社した。毎日ミスばかりで上司には嫌われ、毎日泣いてばかりの生活。

なんとか現状から抜け出そうと、ひたすら仕事のことを考えていた。

 

そんな時に、1週間休みを取ることになった。会社の取り決めで新入社員であっても年に1回は長期の休暇取得が必須だったのだ。

初めての長期連休はどこかに旅行に行くでもなく、家で毎日寝てばかりだった。起きている時は「休みの間にミスが分かったらどうしよう」「自分の悪口を言われていたらどうしよう」と仕事の心配ばかりしていたような気がする。

 

それでも朝起きて「今日は仕事行かなくていいんだ」と思うとホッとした。

ゆったり朝食を食べた後、母に頼まれてベランダへ洗濯を干しにいく。

「みんな今頃仕事している時間だなぁ。仕事していないの私だけなんだなぁ」と、安堵と不安を同時に感じながら窓をあけると、清々しい青空が広がっていた。

あー、なんていい天気なんだろう。毎日こんな風にゆったりと過ごせれたらいいのに。

そんなことを考えながら空を見上げていたら、ふと忘れていたことを思い出した。

あ、そういえば私、作家になりたいって思ってたんだっけ。

 

中学1年生の時に思い描いた「30歳の私」

中学校1年生のとき。「これからの自分を予想して年表を作ってください」という課題が出た。

大人になった時の自分なんて想像もできなかった。仕事も、なにをしているかさっぱりわからない。

文章を書くことは得意だし、褒めてもらえるから、作家にはなれるだろう。そういう風に安易に思って「作家になって本を書く」と書いたことをなんとなく覚えている。

でも、色々な経験をしないと面白い文章は書けないと思っていたから、作家になるのは色々とやってみた後でもいいとも考えてもいた。

30歳までに結婚して、子どもを産んでみたい。普通に会社で働いてみるのも面白いかも。

そんな風に自分の未来を思い描いていくと、何にだってなれそうな気がして、ワクワクしたものだ。

 

 

今、あの時思い描いた30歳になろうとしている。

おかげ様でいい人と巡り合って結婚しているし、2人の子どももいる。

会社勤めも、専業主婦もしてみた。

まだ作家にはなれていないけど、文章は書き続けている。

今の自分にワクワクしてはいないけど、意外と想像通りの人生を送っているようだ。

「人は自分の想像できる生き方しかできない」と聞いたことがあるけれど、どんな未来でも自分がイメージできるのであれば、本当のことになるのかもしれないなぁと思う。

 

 

 29歳の私が思い描く「未来の私」って?

理想の自分を妄想するのは、とても楽しい。

5年後、10年後・・・と理想の未来を想像して、いつも浮かんでくるのは、部屋の隅に作ったワークスペースでせっせと執筆をしている自分の姿。

窓から外が見える場所に机と椅子。手の届く範囲に本棚と、腰くらいの高さの観葉植物。ちょっぴりクセがあるけど、愛らしい雑貨達があちこちに。

うーんと頭を捻りながら、物語を書いたり、エッセイを書いたり。自分の中から生まれてくる言葉を、パソコンの中で形にしていく。

人と会う予定がなくても、自分のためにいつもお気に入りの明るい色の服を着て、家でもピアスをつけている。お気に入りの香りをいくつか手元に置いて気分転換に使う。

 

午前中は執筆に集中して、午後からは外に出かける。

お気に入りのパン屋さんに行ったり、花屋さんに行ったり。散歩がてらご近所を歩く。

仕事の打ち合わせの時に手土産を持っていって一緒に食べられるように、お気に入りの焼き菓子をいくつか見つけておきたい。

 

夕方は簡単だけど美味しいおかずを2品ほど作って、お味噌汁とご飯と一緒に食べる。家族で食卓を囲んで、今日の出来事を報告しあう。その後は家族がそれぞれ本を読んだり音楽を聞いたり、一緒に映画をみたり。

金曜日にはコロンとした小さめのグラスを片手に晩酌するのもいい。夫はお酒があまり好きではないから、自分の好みのお酒を選んで1人晩酌。

夜の時間を楽しんだら、早めに布団に入ってぐっすり寝る。

 

 

想像すれば、今からだってきっと何にでもなれる

理想の自分を妄想してみたら、少しずつワクワクしてきた。

朝からいいことを思い浮かべると、1日が楽しくなりそうな予感がする。

人生色々あるけれど、たまには空を見上げてぼーっと考える時間も必要だ。

こうやってワクワクする未来を思い描いてみるのもいい。

 

 

さて、理想の自分を思い描いたら、どんな未来を想像しますか?

 

今日もお互い、良い1日を!!

 

 

 

 

 

 

自分のペースで前に進めたらいい

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小学生のとき、毎年6月あたりに体育のテストがあった。

50m走や20mシャトルラン、反復横飛び、握力や腹筋など、毎年決まった種目を計測する。

全種目の評価がAの子どもには親指の先程度の小さな“Aバッチ”が配られるのだが、当時の私はそれが欲しくて欲しくてたまらなかった。

小学校の時って「運動ができる=すごいやつ」という方程式が成り立っていたから、私も「すごいやつ」の1人になりたかったのだ。

 

といっても具体的にどうすればAバッチに辿り着けるかどうかはわからなかったから、1年間真面目に体育の授業を受けて、外で遊んだ。

持久走や20mシャトルランなど持久力系はいつもA評価だったから、苦手な50m走や走り幅跳びなどのテストを友達と一緒に練習した。

そうしてやっと6年生の時にAバッチを手に入れたときは、それはそれは鼻高々だった。「これで私もすごいやつだ!」と、名札に光る小さなバッチを誇らしく思った。

 

中学、高校と進学すると、今度は「勉強ができる=すごいやつ」と評価基準が変わった。

今度は勉強の成績をあげようと、あれこれ頭を捻った。

得意科目はなにもしなくても点数が出るから、苦手な科目の勉強時間を増やして対策した。

トップの成績にはなれなかったけど、5段階評価の「5」が揃った成績表がもらえたし、希望していた学校にも進学できて、「私ってやるじゃん!」と内心ドヤっていた。

 

あれ、私の得意なことってなんだっけ?

でも、一歩社会に出てみたら点数では評価されなくなる。

総合点が高い人はもちろん優秀だ。でも、テレビや雑誌に出てくるすごい人ってなんでも出来る人じゃなくて、自分の長所や好きを徹底的に伸ばしてきた人ばかりのような気がしている。

 

総合点を上げることばかり気にしていた私は、人と比べて得意なことや、突出して好きなことがなにもない。「私はこれができます!」と胸を張れることが、なに一つ思い浮かばなかった。

こうなると分かっていたなら、もっと自分の得意なことに集中したのに・・・と思っても後の祭り。今、30歳を目前に、「私の好きなこと、得意なことってなんだっけ?」と記憶を掘り起こして、長所を育てようとしている真っ最中である。

 

自分のペースを守れば、きっと結果はついてくる

体育のテストで、持久走だけはいつも上位だったなぁと思い出した。

笛と同時に周りのみんなが一斉に駆け出していく中で、毎回私は「自分のペースで行こう」と余裕をもって走り出すのだ。

周りがどんどん離れていくのを見ると焦ってペースを早めたくなるけど、「落ち着いて」と自分に言い聞かせてペースを守る。

短距離走だったら一気に走り抜けられるけど、長距離はペースが早すぎると息切れして失速してしまう。だから焦らず、自分のペースで走り続ける。

そうして走るうちに1人、また1人と抜いていくと、「よしよし、私はこのペースで大丈夫!」と自信が出る。

そうやって自分のペースを守ればちゃんと結果が出るということを、子どもの私は分かっていたのだ。

 

 

大人になるにつれて人と自分を比べてばかりで、自分のペースを守ることの大事さをすっかり忘れていた。

多分、今も持久走と同じでいいんだと思う。

専業主婦になってから周りと比べて自分が止まっているように感じて焦りがある。

けど、子育ての傍ら細々とやってみたいことに挑戦したりと、少しずつ前には進んでいる。

周りの友人知人や、話したこともない有名人と自分を比較して、「私は全然だめだ・・・」とネガティブモードになることもしょっちゅう。

でもきっと今は、グッとこらえて自分のペースを守る時なんだと思う。

人生は長い。焦って猛ダッシュしたところで、ゴールに辿り着く前に息切れしては意味がない。

やってみたいことを、今の自分でできる範囲でやってみる。それを続けてみる。

自分で少しずつ積み上げてきたものが、そのうち「何か」としてきっと形になる。そう信じて前進し続けることが、しあわせになるための近道なのかもしれない。

 

 

さて、あなたは自分のペースを守れてますか?

 

 

 

今日もお互い、良い1日を!

 

 

 

 

 

 

 

変わったものをみれば、変わらないことも見えてくる

 

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先日、夫が注文したミックスナッツが届いた。

 

朝は限界まで布団でダラダラしていた彼が、起きてすぐ散歩に行ったり、ストレッチを始めたりと、明らかに健康に気を使いはじめている。ミックスナッツを買った理由も「健康にいいらしいから」だそう。どうも、最近読んだ本の影響らしい。

先日私が買ったメンタリストDAiGOの「超時間術」を真剣に読んでいたと思ったら、同シリーズを3冊ほど買ってきた。これもとても珍しいことで、以前ならいくら「この本いいよ」と勧めても興味すらもってくれなかったのに。

 

そもそも本を読み始めたのも、ここ1年くらいのこと。

1年前はコロナ禍に妊娠・出産が重なり私と娘は実家に滞在していたので、彼は半年以上一人暮らしだった。しかも在宅勤務で家にいる時間が増えた結果、料理や掃除、洗濯、食器の片付けなど、大抵の家事は1人でこなせるように。出産を終え自宅に戻ると、仕事に育児に家事にとなんでもこなす「働くお父さん」へと成長していた。

結婚した当初家事は全て私任せで、食器をふくのさえ嫌な顔をしていたのに・・・。

彼と出会ってから10年くらいになるが、人って変わるものだなぁと彼を見ていてよく思う今日このごろ。

 

そんなことを考えていた昨日、「もしかして、私にもたくさん変わったところがあるのかな?」と思いついて、考えてみることにした。

 

まず、子どもができてからせっせと夫の世話をするのをやめた(笑)。

食後のアイスは夫と半分こじゃなくて、それぞれが食べたいものを食べるようになった。

家での生活が中心になってから「効率的な暮らし」よりも「心地いい暮らし」がしたいと思うようになった。

自分が満足していないと毎日家族と笑顔で暮らせないと分かって、「自分が心からやりたいと思えることってなに?」と考えるようになった。

辞める直前まであれだけ仕事が嫌だったのに、出産後「1人の女性としてしなやかに生きる姿を子どもたちに見せたい」と仕事についてよく考えるようになった。

 

近くてわからないけど、私も少しずつ変わっているようだ。

一番変わったことといえば、「今の自分」に素直になれるようになったことだと思う。

「今までやってきたし」「この方がいいって聞いたし」と周りの声に流されるでも、母だから妻だからと常識に足を取られるわけでもなく。

今の私が変えたいと思えばその都度変えたらいいし、できそうなことは続けてみたらいい。

過去も未来も気にはなるけど、それはちょっと脇に置いておいて、今の私に「どうしたい?」って聞いてみる。そうしていくうちに、自分の中の「変わらないもの」も見えてくる気がするのだ。

 

今もこうやって変わってきたことを考えてみたら、「自分と大事な人たちが楽しく暮らせるようにしたい」っていう気持ちはずっと変わらないなと気がついた。

最近自分の中の優先順位が決められないとモヤモヤしていたが、すでに答えは出ていたみたい。家族で楽しく暮らすこと、これが今の第一優先!

 

 

さて、変わっていく毎日の中で、あなたの変わらないことってなんですか?

 

 

今日もお互い、良い1日を!

 

 

出来事をどう捉えるかは自分次第で

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今朝起きてカーテンを開けると、晴れやかな空が広がっていました。

きっと束の間のことだけど、お日様が出ているとそれだけで気分が晴れる気がします。

 

 

自分の名前に「晴」が入っているためか、私は晴れている日が好きです。雨の日が待ち遠しかったのは、中学校でバスケットボール部に入っていた2年半くらい。

外練の日、雨が降るとグラウンドが濡れて激しい走り込みが筋トレ(ほぼ自主練)に変わるんです。運動が好きじゃないくせに「かっこいいから」という理由でバスケ部に入っていた私は、外練の日に雨予報だと朝からウキウキしていました。

 

 

昔から「やめる」のが苦手です。

バスケ部も卒部まで続けたし、大学の部活も4年間続けて、新卒で入社した会社も結婚するまで3年間続けました。

やり始めて最初は目新しい世界にワクワクするんだけど、しばらくすると周りにもっと上手な人がいることに気がついたり、あんまり好きじゃないってことに気がついたりと、「楽しい」より「しんどい」の気持ちが大きくなって。

嫌だなぁ、苦しいなぁと思いながらでも続けたのは、続けることで何か得られるものがあるんじゃないかと思ったのと、単純に「やめます」っていう勇気がなかったから。

 

長く続けて得られるものって「忍耐」と「我慢強さ」だけで、耐えることに強くなっても自分を自由することはできないのに。そうネガティブに考えていました。

今だって子育て専業主婦生活から抜け出したいと思っていて、気持ちが溢れ出て「ここから抜け出したい」と考えてばかり。でも子育てはやめられないし、急に預け先ができるわけでもない。

またこうやって私は耐え続けるんだろうか?子育てを頑張ってその後、私には何が残るんだろう?

 

こんな気持ちが揺らぐ時期、ドラマや本の中のふとした「言葉」にビビッと反応しやすくなるような気がします。

先日見たドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」の中にも、ちょっと気になる言葉があって。

社長業を辛いと言うまめこに、親友が言うんです。

 

「辛くてもできている。いるといないとでは大違い。それはあなたがやらなきゃいけない仕事なの。」

 

辛くても続けられている。それって実は、すごいことなのかも。

自分ごとで見れば苦しいけど、誰かの役には立ってることなのかも。

 

楽しいことよりも苦しいことの方が衝撃が大きいから、長く続けると辛い記憶の方が残りやすいんです。

でも、長く続けられたことをもう一度振り返ってみたら・・・。どれも楽しい思い出があって、人の繋がりができて、「やらなきゃよかった」と思うことは実は一つもないと気がつきました。

自分の中にコレといったスキルが身についたわけではないけど、目で見て体験したこと、出会った人との繋がりは、少しずつ私の中に積み重なっているはず。

 

 

子育てもずーっと続くものでもなく、いつかそのうちサラリと離れられる瞬間がくるのかもしれません。果てしなく続く真っ暗闇のように見える今が、「あの日があってよかったかも」と思えるようになる日がそのうち来るのかも。

そう信じてみるのが、もしかしたら暗いトンネルを抜け出る光になるのかもしれませんね。

 

 

出来事を変えることはできないけど、どうとらえるかは自分次第。

 

 

今日もお互い、良い1日を!

 

 

 

親であり続けるって簡単なことじゃない

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雨降りの日が続きますね。

近頃は家にいるだけだと物足りなくなってきた長女。

昨日、下の娘を寝かしつけながらウトウトしている間に、やられました。

「おふとん、おそうじしたー!」と言われて見れば、シーツに赤、青、黒、ピンクと色とりどりの線がたくさん。夫の枕カバーにも、力強い線が書かれていたんです。

すぐさま飛び起きて洗濯して、乾燥機にかけて・・・と、てんやわんや。気持ちが荒れ狂ってすぐには聞けなかったんですが、後から聞いたら、「おふとんをかわいくしてあげた」んだそう。

 

そんな感じで、本人は悪いと思ってやってないんだけど、私からしたら「なんでそんなことするの!」ということが何回も続き、昨日は1日親子ともども荒れ狂っておりました。

 

長女はもうすぐ3歳。頭も心も変化している真っ最中で、私も母として変化を求められている真っ最中なんだろうなぁと思います。

今のような気持ちが揺れる時、たびたび考えるのが、私の母のこと。

 

20代前半で兄を出産し、専業主婦になって2歳差の子どもを3人育てあげた母。実家も遠いし、転勤族。今の私とよく似た状況で「よく3人も育てあげたなぁ・・・」としみじみと考えるのです。私は2人育てるだけでキャパオーバーなのに。

母の姿を振り返れば何か子育てのヒントが見つかるんじゃなかろうかと、ふとした瞬間に子ども時代に思考を飛ばしてみるんです。

 

母はたびたび子ども達を家に置いて、1人車に乗って出かけることがありました。

大抵は私たちが叱るのを聞かずに、大騒ぎしている時。

「もう知らん!」と出ていってようやく母の怒りに気がついて、「お母さんが怒っちゃった!」と妹と大号泣。しばらくすれば必ず母は家に戻ってきて、家の中も落ち着いて・・・という感じだったよに思います。

子どもの時は「お母さん帰ってきてよかった」とホッとしたけれど、今考えてみたら「お母さん、よく帰ってこれたなぁ」と思うのです。

 

母をやっていると、「いつになったらここから抜け出せるんだろう?」そう頭を抱えて、今すぐ飛び出して1人になりたくなる瞬間が何度も何度もやってきます。

「子ども達から離れて1人になれたら、どれだけ楽だろう?」という本音と、「私が子ども達を守らなくちゃ」という義務感。

相反する気持ちの狭間で揺れながら、なんとか気持ちを切り替えてそこに居続ける。母で居続けるって、楽なことじゃないのです。

 

きっと母も、何度もそんな瞬間が訪れて、私と同じように悩んで行き詰まって。一度子ども達から離れることで「自分」を落ち着けて、また「母」に戻れるようにしていたのでしょう。私と同じようにきっと母も「母」であり続けようと必死だったんだろうなと思います。

直接聞いても母は「忘れちゃった」と笑うけど。3人を育てるのは、決して簡単なことではなかったはず。

 

母は家を離れることだったけど、私は過去の母を思い浮かべることでヒリヒリした気持ちを少しだけ冷まして、なんとか母親業を続けています。

 

 

親になっても、1人の人間。

苦しい時は少し離れてみたっていい。

愛って「なんでも受け入れること」じゃなく、「好きも嫌いもあるけど一緒に居続けようとすること」だと思うから。

「母」であり続けようとすることが、きっとそのうち、子ども達の光になると信じて。

 

 

あなたが親であるために、力をくれるものはなんですか?

 

お互い良い1日を!

 

 

明日も明後日もなかったら、今日私は何をする?

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おはようございます。

今朝5時前に部屋のカーテンを開けると、朝陽が眩しいほど部屋の中に降り注いできました。

日の出が早くなると、1日が長くなった気がしてちょっと得した気分(笑)。

 

早起きのいいところは、家族みんなまだ寝ているので思う存分自分の時間を過ごせるところ。

小さい人達が起き出してきたら寝るまでずっと一緒なので、貴重な2時間です。

「さて、今日はなにをしようかな?」と手帳を開けば、大抵は真っ白。前は空白だらけの手帳をみるとなんだか切ないような気持ちがしたんですが、最近は自由にスケジューリングできる気軽さがいいなと思えるようになってきました。

 

 

子育てをはじめてから一気に自分の時間がなくなり、やりたいことはどんどん積み上がっていくばかり。それなのに次々と新しいことをやりたくなるので、いつも頭の中はごちゃごちゃ。

さて、いつになったらこのモヤモヤした毎日から抜け出せるんだろう?とずっと考えていました。そしたら、ふと、閃いたんです。「今日で世界が終わるとしたら、私は何がしたいんだろう?」

 あれだけ悩んでごちゃついていた頭の中から、答えは糸で引っ張られたようにすっと簡単に出てきました。「娘達と全力で遊んで、家族みんなでおうちでご飯食べて、いつも通りに過ごすだろうなぁ」って。

 

 

 

家で子供を育てているとはいえ、生産性も社会貢献も給料もない毎日に疲れて、「このままじゃダメだ」「自分の暮らしを変えるために、私を変えたい」そんなふうに、今の生活から離れることばかり考えていました。

でもきっとそれは、未来ばかり見ていたから。子供達が巣立った後、時間ができた時に何者でもない歳をとった自分が出来上がるのがずっと怖くて。どうにか未来を変えたいと、今の私や暮らしから目を背けていたのかもしれません。

今日しかないって分かったら、きっと子供や家族との時間を優先する。そう気づいた瞬間、「私って今までも、自分の欲しいもの、ちゃんと手に入れてきたんだな」って、少しホッとしました。

 

 

今までの道筋が「私らしさ」になっている。

押しても引いても進めないような谷の日々も、そのうちきっと糧になる。

焦らなければ、大丈夫。ダメでも、なるようになる。

 

今日で世界が終わるとしたら、あなたは何をして、誰と1日を過ごしたいですか?

 

お互い良い1日を!

 

 

 

 

 

 

 

 

1人では生まれることもできなくて

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雨の季節がやってきましたね。

朝から湿気を感じてリビングの湿度計を見たら「78%」。今週は雨が続くらしい。おうち時間が増えるのなら、今のうちにトイトレを頑張ってみようかな。

 

もうすぐ、うちの長女が3歳になります。

彼女は誕生日を前に片手の3本指を立てて「3さい」という練習をはじめました。まだ薬指がうまく立たず、2.5歳のように見えていたり・・・。プレゼントはアンパンマンのドラムセット、ケーキはいちごのクリームのやつ。「何がいい?」と聞けば自分で決めて答えてくれる。自分の意思で決められること、それを言葉にして伝えること。つい半年前はここまでしっかりしていなかったのにと、娘の成長ぶりには時々驚かされています。

 

彼女が生まれてからの時間は心底濃厚でてんやわんやで、たった3年しか経っていないことに驚く気持ちもあるし、写真を見返して「こんなに大きくなったのか」としみじみと感嘆する気持ちもあるんです。

3年もやっていれば私も少しはいっぱしのママになれたかな?いや、いまだ「なんちゃってお母さん」の感じが抜けていない気がしています。

最近は毎日のように口が達者になってきたと大喧嘩。先日なんか、外から帰ってきてたった30秒手を洗うかどうかで揉めて大騒ぎ。「もうしらない、おこっちゃったもん、プン!」と腕をくみ下唇を噛んでそっぽを向く娘、怒り方が私そっくり。これからどうなっていくんだろう・・・とため息の出る毎日の繰り返しです。

 

昔から漠然と「30歳までに2人子供を産む」と決めていました。実際幸運なことに26歳で長女、28歳で次女と2人の娘に恵まれています。結婚して半年で妊娠が分かったと思ったら、喜ぶ暇もなくつわりでダウン。家事は私任せだった夫が、毎朝早起きしてせっせと風呂掃除、食器洗い、洗濯を済ませて仕事に向かうようになりました。布団とトイレを往復する日々を1ヶ月ほど耐えて検診に行くとそのまま1週間入院になって、報告をした翌日に実家の両親が3時間半かけて飛ぶようにやってきました。自分1人だと子供を産むどころか妊娠中に死んでたなと、思い出すたびに感じています。

 

何人もの大人が支えてやっと1人の命が誕生するんだと、自分が経験してみてやっと気がつきました。

育てるのも、私1人の力では3日ともたなかっただろうなぁ・・・。生まれたばかりの頃は毎日生き延びさせるのに必死でそんなこと思いもしなかったけど、今考えればこの3年間は両親や夫、周りの人たちが手を差し伸べてくれて、やっとこさ乗り越えてきたような感じです。

同じように私が今生きているのも、たくさんの大人達が育ててくれた結果なんだろうなと思っています。生きている限り、誰も彼もそこは同じ。

 

 

さて、今日から長女はプレ幼稚園が始まるんです。

月に2回1時間とはいえ、新しいことのスタート。彼女よりも、きっと私の方がドキドキしています。楽しい時間にしよう!

 

今日もお互い良い1日を!