短所も見方を変えば長所に変わる

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半袖が心地いい気温になってきましたね。

娘達の夏服を準備するついでに、和室の押し入れを長女専用のクローゼットにしてみました。寝る時もお出かけも公園もパジャマ姿の彼女、これでお着替えが少しでも楽しくなってくれればいいんですが・・・。

 

夫は私と違う人

「好きこそものの上手なれ」と言いますが、飽きっぽくて変化が大好きな私は三日坊主の常習犯。興味を惹かれるまま色々なものに手を出して、一つのことを長く続けることが苦手です。

それに対して夫は一度ハマるととことんやり込むタイプ。GW直前に買ったポケモンにハマり、いつもなら「朝はできるだけ布団にいたい」となかなか起きてこない彼が、5時半頃にはさっと起き出してリビングでゲーム機と睨めっこ。ついこの前「まだジムリーダーと戦ってない」と言っていたはずが、昨日見たらラスボスと戦っていました(笑)。

漫画やドラマを見るときも、何か資格の勉強をするときだって、彼はいつでも途中で放り出さず最後までやり切るんです。何事も中途半端に途中やめにしてしまう私にはとても真似できない、彼の尊敬する部分の一つです。

 

 

夫婦といえども、私と夫の大事にしている価値観って正反対だったりします。

ゲーム1つとっても、私は全体像が気になってあちこち寄り道が忙しいけれど、夫はメインストーリーにしか興味なし。

変化が大好きでインテリアや服を頻繁に変える私と、「僕はこれでいい」と自分のスタイルを貫き好きなブランドしか買わない夫。

未来や将来に夢をもって常に成長したい人と、今の自分に満足して目の前の1日をゆったりと過ごしたい人。

 

 

結婚して4年、交際期間も含めると9年ほどそばにいるのに、こうも大事なことが違うのかと驚くことがいまだにあります。

2人の関係作りにしても、私はこうして分析してお互いの着地点を探りたがるんですが、夫はいつも「好きなようにやったらいいんじゃない?」と共感も干渉もしない・・・。

 

なんでちゃんと考えてくれないの!と腹立たしく感じることもしょっちゅう。

でも最近少しずつ、「夫婦であっても分かり合えなくていいのかも」と思えるようになってきました。もしかしたら、人のことは変えられないと、やっと諦めがついてきたのかもしれません。

 

例えば「現状維持が好き」という面も、「自分を成長させようと努力しない」になると不満になるけど、「今の自分を楽しむことが得意」になると長所に変わる。違う部分って自分の価値観を通してみたら短所になるけど、彼を作っている要素の一つとして客観的に考えたら、長所にも短所にもどっちにだって変えられる。

そういう風に自分の見方を変えたら、ずっと楽に一緒の時間が過ごせるようになりました。

 

 

実は、早朝からゴロンと寝転がってゲームしている夫に、最初はとてもイライラしていたんです。せっかく朝起きてるんだったら、本を読むとか勉強するとか、自分の身になることに時間を使えばいいのに・・・。でもそれは、私の価値観。早起きして趣味を楽しむための時間を作ってるんだと考えたら、彼は自分を楽しませるのが上手なんだなと思えるようになって、床に転がる彼を見てもイライラしなくなりました。

 

モヤモヤがあったら、自分の価値観を点検して見方を少しずらしてみる。幸せか不幸か、自分の考え方次第で選べるとしたら、私は幸せを選びたいなぁと思います。

全然できてなくて、プリプリ怒っては反省しての繰り返しですが・・・。

 

みなさま、今日もお互い良い1日を!

 

あれこれ予定を詰め込みすぎてすっかり忘れる〇〇の時間

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GWが終わり、今日からまた平日が始まりますね。

我が家は夫が有給をとってくれたので、引き続きお休み気分。さて、今日は何をしようかと考え中です。

 

お出かけしないGW、どんな風に過ごしてる?

久しぶりの長期連休、しかも今回は帰省や出かける予定もないということで、この機会に溜まっていたアレもコレも片付けようと、TODOリストをむくむく膨らませていました。しかし我が家の2歳と0歳の姉妹は、大人2人がかりでも手に余る元気さ。子供達の世話をしながら、いかに効率よく、無駄なく動けるか・・・。連休を充実させよう!と手帳と睨めっこして、スケジュールを考えていたんです。

しかし、いざ休みが始まると効率どころか、全く自分の思い通りには進みませんでした。それもそのはず、普段は残り物でやり過ごしていたご飯も夫がいればそうもいかないし、夫がいてテンションが上がり続けている娘達の生活リズムはブレブレでお昼寝もしようとしない。

夫と娘達が遊んでいる隙をみて動き出しても、すぐに長女が「なにしてるの〜?」と駆け寄ってくる。次女は私がそばにいないと気づくやいなや、「マンマァー!」と泣き出す始末(泣)。

私が娘2人にまとわりつかれている間、家事はやってくれるけど自分のペースでしか動かず、気づけばゴロンと寝そべりゲームに勤しんでいる夫に募っていくイライラ・・・。彼も休みだからゆっくりしたい気持ちはよく分かる。けど私は休むどころか、日常+αの毎日。ゆっくりコーヒーを飲む暇もないし、「このままじゃ何もできないまま休みが終わってしまう!」と計画倒れの日々にモヤモヤと焦りを感じていました。

 

 私に必要だったのは「何もない時間」

そんな日が続いた先日。その日も朝から子供達は大騒ぎで、予定していた買い物にも行けそうになく、どうしようもない時間にげんなりしていました。

スケジュール通りにいかないからイライラが溜まる・・・それならいっそのこと、気分で動いてみたらどうだろう?そう思いついて、家事や片付けをとりあえず脇において、夫が夢中になって遊んでいるゲームを私も初めてみることにしました。昔からゲームは好きだけど、一度始めると集中して他のことが手につかなくなる・・・。なので、あえて手を出さないようにしていたんです。

今日のご飯は作り置きがあるから大丈夫。家の中の片付けなど他のことは後回しにして、好きなだけ遊んでみよう。そう思い立って、「ママはゲームするから!」と家族に伝えるや否や、すぐさまゲームを初めてみました。

 

子どもの頃にやっていた、10数年ぶりのポケモン。子どもの頃に夢中になって遊んでいたゲームは知らないうちに進歩していました。ただのイラストだったポケモン達は画面の中でいきいきと動いていて、ゲームの世界を自由に走り回ることもできる。知っているポケモンが出てくると懐かしく、見知らぬポケモンに出会うと新鮮な気持ちに。昔を思い出しながら、気づけば2時間ほど夢中になって遊んでいました。ふと見れば集中している私のことを気遣ってか長女は1人遊びをはじめていて、次女は私のそばでゴロゴロ。夫はぐずる次女をあやしたり、長女のおままごとに付き合ったり・・・。そうしていたら、いつの間にか私の中にずっと根を張っていたモヤモヤがいなくなって、さっぱりリフレッシュできていたんです。

あれだけ何をやっても取れなかったモヤが晴れた理由はなんだろう?と考えていくと、「自分のための時間を作るのをすっかり忘れていたな」と気がつきました。

 

 

自分の思う通りに動けないって、とてつもなくストレスが溜まること。「みんな好き勝手して、私ばっかり休む暇なく頑張ってる!」と思っていたんです。でも、私が夢中になっているときは夫も子ども達も「ママのやりたいこと」を優先させてくれた・・・。もしかして、私は思い通りに動けないことよりも、自分を充実させられていないことにモヤモヤしていたのかもしれません。

 

時には立ち止まって、何もしない時間を作ってみる

自分の気持ちを優先させたり、周りに巻き込まれたり。私はいつも自分が生産的であることを求めがちです。でも、心に寄り添う余裕を持つために意識して「何も生み出さない時間」を作るように作っていきたいなぁと思います。

 

休み明けで仕事に勉強にやること盛り沢山な方も多いですよね。

「これだけはやる!の1つだけできたら、あとはできなくてもいいや」と少しだけ肩の力を抜いてみるのもいいかもしれません。

 

皆さま、今日もお互い良い1日を!

 

片付けの前に、自分に合う暮らし方を考える

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いよいよGWが始まりましたね。

いつもなら初日に新幹線に乗って実家に戻るんですが、今年は帰省を自粛。人に会えない寂しさはあります。が、せっかくの長期休み。「普段後回しにしていること、この機会にやっつけちゃえ!」と、この期間を楽しむことにしました。

 

モノと向き合う前に、自分と向き合ってみる

昨日から手をつけたのが、おうちの片付け。2人育児の繁忙さにかこつけてアレやこれを投げっぱなし、置きっぱなしになっている部屋の中を、GW中にスッキリと決意。しかし、子供が増えて物も増えた今、何から手をつけていいか分からず・・・。

 そんな時に気になったのが、「ライフオーガナイザー」という言葉。調べてみると、アメリカ発祥の「オーガナイズ」という考えに基づいて、片付けを含め暮らしをコンサルティングするための資格なんだそう。よく聞く「整理収納アドバイザー」がモノを片付けるプロだとすると、この「ライフオーガナイザー」は人に合わせた片付け方法を考えるプロ。「モノと向き合う前に、まずは自分の価値観と向き合いましょう」という考え方に、なんだか惹かれるものがありました。

 

ライフオーガナイズでは、「利き脳」を参考に片付けの方法を考えます。以前からインスタや雑誌の収納を真似してみたけどなんだかしっくりこない・・・なんてことが多かったんですが、実は脳の使い方によって適切な収納や片付けの方法が違ってくるんだとか。

自分の利き脳を調べる方法はとても簡単。両手の指を組んだ時に親指が下にくる方がインプット、腕を組んだ時に下側にくるのがアウトプットの利き脳になります。

 私と夫の場合、インプットは右、アウトプットは左が優位という結果に。この組み合わせの特性は「見た目と機能性を両立したい完璧主義」。形から入るのが得意なタイプなので、収納用品を揃えて見た目良くしたり、計画を立てたりするとモチベーションが上がっておすすめなんだそう。

 

自分にあった方法が分かると、片付けってこんなに楽しい!

新しい知識を得るとすぐさま試してみたくなる私は、早速実践。クローゼットの中で一番目立つとろこに置いてあったプラスチックの衣装タンス。夫が独身時代から使っていたものですが、見た目が好みじゃなくて見るたびになんとなく嫌な気持ちになっていたんです。それを、私が使っていた無印の収納ケースに入れ替えてみました。ただそれだけなのに、整った見た目に心がときめく、ときめく!すっきりした空間ってこれほどまでに気持ちいいものなのか・・・。驚いたと同時に、「もっと素敵な空間にしたい!」と意欲が溢れ出てきたんです。夫も気持ちは同じだったようで、「この収納に入る分だけにモノを減らす」とせっせと選別、掃除を開始。

使っていない服や小物も思い切ってこの機会に処分し、とりあえず使えるからと寄せ集めで使っていた収納用品も色や形を揃えることにしました。

クローゼットが整ったら次はリビング、その次は子どものおもちゃを・・・と、家中のスッキリした光景を想像して1人にんまり。この勢いのまま、連休中に片付けを終わらせてしまおうと計画中です。

 

自分に必要なモノを選び取れるようになれば、もっと毎日が楽しいはず

ライフオーガナイズって、ただ「モノを捨てて片付ける」という考え方はしないそう。どういう暮らしをしたいのかをまず考えて、その姿になるために必要なモノ、大事なモノを選びとる・・・。その繰り返しで、自分にとって本当に必要なモノを選んでいけるようになれば、毎日がもっと楽に、楽しく生きられるようになるのかもしれません。

 

子供達の相手をしながらの片付けはなかなか進みませんが、我が家にあった暮らしを見つけるために、少しずつ頑張っていこうと思います。

 

今日もお互い、よい1日を!

 

 

1年後はどうなっていたい?

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2年ぶりの春がやってきました。

毎年変わらず春はやってくるんですが、去年は社会的にも、自分の体調的にも(つわり真っ只中)、外にお出かけなんてできない状況。久しぶりの春に、胸が踊っています。

芽吹いたと思えばあっという間に満開になる桜。道に植えられている色とりどりの花たち。うららかな春の日差しを浴びて、胸いっぱいに空気を吸って。「あ〜春だ〜」と久しぶりの春を心の底から満喫しています。心も身体も軽い春、新しいことを始める方も多いのではないでしょうか。

 

1年後にどうなっていたい?

2021年もはや3ヶ月。去年は足踏みの毎日だったので、「2021年は一歩前に進むぞ!」と、年明け早々1年の目標を立てていました。大きな目標は『自分にとってちょうどいい暮らしを見つける』。執筆活動を中心に、「こういう風になりたいな」という目標を細かく設定して、紙にメモしておきました。

手帳に挟んでいたそのメモを引っ張り出して進捗チェックしてみたところ、できていることもあれば、「あ、忘れてた(汗)」と感じることもあり・・・。

目標は立てるだけでなくて、振り返って進捗チェックも大事。

今年も3ヶ月経ったということで、もう一度改めて今年1年の目標を設定してみました。やはり大きな目標は、『自分らしい暮らしを見つける』こと。ただ、今回はもっと具体的に考えて、「自分のやりたい(好き・得意・稼げる)ことを決めて月10万稼げるようになる(そして次女を保育園に入れる)」「4キロ減量してレギンスが履けるようになる」「身軽に生きられるように、身体・心・暮らしを整える」と中目標を決めて、改めて手帳に書き込みました。

 

母でも妻でもない、自分の人生を生きていきたい

ここ1ヶ月ほどノートやスマホを使って「私ってどういう風になりたいの?」と気持ちを言葉にする練習をしていました。そうして言葉にして自分自身と向き合って出てきたのは、「家族は大事。でも私の人生も同じくらい大切!」という本音。

「家族の暮らしを整える」という主婦業は、100%家族のためになる大事な仕事です。そうは思っていても、やっぱり1人の大人として社会に向けて何か役立つことをやっていきたいという思いが、ずーっと心にモヤモヤとして引っかかっていて。もう、これは思い切ってできることから行動しましょと、昨夜覚悟を決めたんです。そうして、先程の中目標を立てました。

家庭・仕事とバランスをとりながら、自分の大切なものを選び取っていけるようになりたい。そのために身軽に動けるように、自分や家族の土台をしっかり整えたい。そうして家庭の中で役立つ私だけじゃなくて、社会の中で役立つ私になっていきたい。今年1年はこうしていこうと道筋を決めたら、すっと心が決まった感じがします。

 

「考える」「言葉にする」「行動する」の繰り返しが夢を叶える

人間の頭の中って結構モヤモヤとしていて、言葉に落とし込むことで自分の考えが整理されて、実現の可能性が高まるそうです。自分の未来を想像しながらそれを文字に落とし込む。きっと、その繰り返しが気持ちを強くしてくれるから、自分の望む未来が近づいてくるのかも。たびたび目標を見直しながら、一歩ずつ前に進んでいきましょ。

 

運気に従って毎日を過ごしてみる

実は昨年から、自分の人生をかけてある実験をしている。それは占いの運気をチェックして、運気に合わせて日々の行動を決めることである。

占いに沿って生きてみたら、人生はより良くなる?

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きっかけは、2年前から買っている某占い芸人さんの本。10月末から1年間のことが全て書かれている本で、1年、月、日とそれぞれの運気と開運アドバイスが書かれている、占い本としては内容盛りだくさんの本である。2年前の年明けに電車で吊り広告を見た瞬間にピンと来るものがあって、すぐさま本屋さんに買いに出かけたものだ。2021年版も販売されるやいなや購入し、人にも「これ面白いよ〜」と布教しているほどハマってしまっている。

この本によれば私は銀のインディアン座というもので、超マイペースで変化や刺激が大好き、中学2、3年から心が成長しない人だそう。興味も次々と変わっていく飽きっぽさも持ち合わせているらしい。確かに、そういう一面もある気がする。

 

その本の巻末メッセージに、著者の人生を使った実験の話が出てくる。彼は貯金が底をついて、仕事もなく、途方にくれていた時に占いに出会ったそうだ。そこで、「試しに・・・」と実験する感覚で、自分の運気に沿って生きていくことにした。買い物は運気のいい日だけにして、人にあったほうがいい運気なら人に会いにいって・・・といった具合に。最初は自分のタイミングで動けないことに不便や苦痛があったが、次第に運気に合わせる暮らしに慣れていって、気がつけば人生がうまく回り始め、数年後にはベストセラー作家にのぼりつめたという。

 この話を「面白い!」と感じた私は、彼と同じように自分の日々を占いに合わせてみるという実験を始めたのである。

 

「特別運気がいい日」に何が起きたかというと・・・

実は昨日はこの占いの中でも最も運気のいい1日で、「今後の人生を左右する日」とあった。この日が来るのを数日前から楽しみにしていて、朝からせっせと文字を書き、日中は子ども達を連れて子どもセンターに行って人と会い、夕方以降もせっせと生活を回してみた(買い物にもいい日だったらしいが、特に欲しいものがなく保留に・・・)。

1日が終わって、いつものように机に座ってノートに振り返りをしたときに最初に出た言葉は、「たった1日では人生は変えられないなぁ」だった。

運気が特別いい日だからといって、ものすごい感動できる文章が書けたわけでもないし、ビビビッと電流が走るような出会いがあったわけでもない。いつものように大半の時間は子どもの相手をしているうちに終わってしまった。多少いつもよりは活動的にできたけど、大した手応えは感じられない1日だった。つまり、今後の人生を左右する日も、いつも通りの平凡な1日だったのだ。

 

日々の積み上げがなければ人生を変える1日には出会えない

ノートにそんなことを書きながら、改めて感じたことがある。占いとか、神頼みやおみくじもそうだけど、ただ待っているだけでは人生は何一つ変わらない。

運気がいいと言われるタイミングまでに、夢や目標、望んでいる自分の姿をどれだけ具体的にイメージできているのか、それに向かってどれだけのことができているのか。ここの差によって、出る結果が変わるのは明白だ。自分のできる限りのことを積み上げた上で、それでも予想外の大きなつまづきをしないように、占いや神様といった目に見えない大きな力を頼る。まずは、自分の行動ありきなのだと思う。人生を変えるには、1つずつ自分の心や行動を変えていくしかない。

 

運気のいいタイミングで何も掴めなかった私は、まだまだ積み上げが足りないんだなぁ・・・と少しだけ落ち込んだ。でも、昨日で人生の全てが決まったわけではないはず。人生の転機は振り返ってみたときにしか分からないと聞いたことがある。これから先「あの日があってよかった」と思えるかどうかは、今後自分がどれだけ望む未来に向かって変化を起こせるかによるのかもしれない。

 

私の決断と行動が未来を「わくわく」に変えていく

占い通りに人生が運ぶことはないけど、運気で日々の行動を決める毎日はゲームのようで面白い。開運アドバイスを見て「いつもよりちょっと頑張ってみようかな」と背中を押してもらえるし、いつもと違う行動をしてみようかなという気にもなったりする。突然飽きてしまうかもしれないが、今はなんとなくでも続けていこうと思っている。さて、私はどれだけ自分の人生をよりわくわくする未来に繋げていくことができるのか、これからが腕の見せ所だ。

 

 

お互いの「枠」を見つけるために私たちにできること

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今朝、嫌な夢を見た。

大学時代大キライだった奴が、「何言われても、明日から新しい体制に変えちゃうんだよなぁ〜」と急に言い始める夢。

学生の時入っていた部活動で、4年生になった頃から「今のままの体制じゃ勝てない!」と改革を訴える人たちが出てきた。その2、3人の人達が、1番に手をつけたのが私たちマネージャーの意識改革。多分、1番口を挟みやすかったんだと思う。ポジションごとに勝手に担当のマネージャーを決められたり、選手のタイミングでマッサージを要求されたり。つまり、なんでも選手ファーストに変えていこうとする動きが始まった。1、2年生達は素直に従い、不満を言いそうな(実際に言った)3、4年生マネージャー達は、たいして話し合いの場も求められず、卒業するまで今まで通りの体制でいいよという話で落ち着いてしまった。

この時期の夢。もう、心底嫌な気持ちで目が覚めた、今日の朝である。

 

苦い思い出が溢れる学生時代・・・

この時改革を始めた人たちは「部活に所属する限り、マネージャーは選手につくすべきだろう」とよく言っていた気がする。でも私が知る限り、この4年間で自分も部活動に学生時代の大半の時間や労力を注いできたし、先輩達もそうだった。今まで選手から見えないところで頑張って支えてきた存在に寄り添うでもなく、ただ否定する。それが何より腹立たしくて、悲しかったのだ。なんのために、自分はこの部活に心身を注いできたのだろう。そういう思いが卒業するまでずーっとついて回った。あと1年だからと踏ん張ったが、こんなことならさっさとやめとけばよかったと、何度思ったことだろう。「4年生なのにやる気がない」と言ってくる後輩もいたり、思い出せばなんとも苦々しい思い出ばかりな気がする。

 

「尽くす」ってどういうこと?

そもそも、「尽くす」ってなんだろう?国語辞典では、「尽くす=他の者のために精一杯働いたり努力したりする」ことだそうだ。はたしてそれは、なんでも相手都合に合わせて自分を変えていくことなんだろうか?はっきり言えるのは、「尽くす」というのは自発的なものであって、「自分に尽くせ」なんて相手に強要するようなことではないということ。 

「部活動のため」「家族のため」「会社のため」「組織のため」「社会のため」「子どものため」「将来のため」。そんな風に大義名分を掲げて、自分の都合のいいように人を変えようとする人が少なからずいる。人の行動を批判して、さも自分の考えが正論のように主張してくる人。こういう人が、私は昔から大嫌いだ。この時の経験で、余計にキライになったような気さえする。

誰だって、自分の都合がある。それでも関わっている世界の中で自分にできることはないか、自分の都合と折り合いをつけながら、何かしら考えて動いているものだ。それを自分の考えと違うからという理由で端から切り捨てる。これって、誰が笑顔になれるんだろう?こんな傷つくだけの世界、絶対いやだ。

 

声には出せなくても、見ていてくれる人はちゃんといる

私が悲しかったのは、さも部活の代表者として話す数人を除いた他の選手が、様子を見るだけだったこと。今まで一緒に頑張ってきたと思っていたのはどうも自分だけだったのかと、本当はマネージャーに不満ばかりだったのかと、そんな風に自信がなくなった。たった数人の意見を、信じそうになっていた。

でも、最終試合の数日前のこと。今までダンマリを決め込んでいた他の4回生の選手達が、「今まで支えてくれてありがとう」とプレゼントをくれたのだ。「ありがとう」と言われると、素直に嬉しかった。それよりも、声には出せなくても、自分のことをちゃんと認めてくれた人達はいたんだということが、もっと嬉しかった。

声が大きい人の意見って目立つから、あたかも全体の意見のように聞こえやすい。でも、黙っている人たちが同じことを考えているわけじゃない。

 

お互いの枠を知るために、言葉を交せる人でありたい

私たちはそれぞれ違う枠の中で生きている。お互いの枠が重なる部分を見つけるには、たくさん話をするしかない。声をあげる人も、様子をみている人も、どちらも同じ意見だとは限らない。だから言葉を交わす場を作るって大事なんだと思う。今までのお互いの努力を知って一旦認めた上で、「じゃあこれからどうしたらもっと良くなるかな?」って聞き合えたらいい。

正直、話し合うってめちゃくちゃめんどくさい。すっとばして自分の意見を通したり、人の意見に従った方が絶対ラクで簡単だ。それでも言葉を交わすのは、お互いの着地点を見つけるこの作業が、お互いの関係を深めると思うから。大義名分のためじゃなくて、目の前の人たちに目線を向けて、自分たちに合う関係を築けたら、きっとみんなが幸せに向かっていけるんじゃないかな。

相手のことを知った上で、より良いやり方を一緒に探っていける人になりたいし、そういう人達と出会っていけたらいいと思う。

 

思い通りにいかないことの中に、幸せのヒントがあるのかも

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今朝の悪夢が、こうして考えていくと一つの学びに変わった。幸せなことだけ起こればいいけど、人生ってそうもいかない。けど振り返れば、この経験から幸せに生きるヒントもらったような気がしてきた。「あの時の私、よく頑張ってたな」と改めて昔の自分を褒めてあげよう。そして、のんびりコーヒーでも飲んで、また新しい1日に向き合っていこう。

 

 

自分の身体も心も一点もので、一生ものだから

天気のいい暖かい日が増え始めると、春の訪れを感じてそわそわしてくる。

日の出が早くなって早起きも楽しい。いい天気の日に家にこもるとなんだか勿体無い気がして、娘達と一緒に外に出ては、全身で太陽を浴びる心地よさを味わっている。

しかし、本格的に春が来るまでは、気温の差が激しい時期。陽気に誘われて薄着で外出したら夕方には肌寒さを感じたりと、うっかりすると体調を崩しやすいこの頃。ニュースでも「気温差疲れ」という言葉を聞いた。コロナもまだまだ油断できない。うららかな春を楽しむためにも、家族ともども体調管理には気をつけようと思っている。

妊娠して気がついた「心と身体はいつだってセット」

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まだ寒いけど娘との公園遊びも楽しい

昨年は妊娠していることもあり、本当に体調不良続きの1年だった。つわりで2ヶ月ほどまともに飲み食いできず、体重は一気に減った。落ち着いたと思えば今度はずっとお腹が苦しくて、食べたいのに喉を通らない。動けばすぐ胸が苦しくなったので、横になって休む時間が増えた。

身体と心は繋がっているようで、しんどい日が続くと心も動かなくなって、そのうち何をやっても楽しくなくなっていることに気がついた。なんとか抜け出そうとあれこれ試してみたが、大きくなっていくお腹を縮めることもできなければ、出産に向けて変化する身体にストップをかけることもできず、ただただ耐えしのぐ毎日。

やっとの思いで出産を終えた、その日の夕食。「好きなものが好きなだけ食べられるって、こんなに素晴らしい!」と感動し、あっという間に完食。その後も3食+お夜食全て残さずいただいた。

ちゃんとご飯を食べてゆっくりベットで休む。シンプルなことだけど、それだけで今までの無気力感が嘘のように、心に元気が湧いてくる。そのうち少しずつ、身体を整えようという気にもなってきた。子どもたちの健康には気を遣っていたけれど、自分を労ることをすっかり忘れていたことに気がついたのだ。

 

自分のものって後回しになりがちだけど

普段は意識してないけど、心が望むままに自由に生きるためには、心の乗り物である身体を大切に扱わないとな、と思う。

自分の身体ってスマホや車のように、古くなったからって取り替えることのできないもの。一生もので、一点もの。心がソフトだとすると、身体はハード。どちらが欠けても、動かない。

 

人のものだと気を配るのに、自分のものってなんで扱いが雑になりがちなんだろう?物も人も、自分の身体、心も、近いものであるほど後回しになりやすい。

でも、よく考えればいつも当たり前に目の前にあるものって全て誰かからのギフトだなぁと、最近思うようになった。今使っているパソコンやスマホ、着ている服もマグカップも、それを買うために使ったお金も、全て作ってくれた人達がいる。自分の身体や命だって、両親からの1番最初の贈り物だもの。

今当たり前のように「自分のもの」と思っているもの全てが、実は誰かから与えてもらったもので。そう思ったら感謝がむくむく湧いてきて、「もっと私の身体を労わりたい」そんな気持ちになったのだ。

 

これからも自由に生きていきたいから、よろしく、私の身体さん

産後1ヶ月を過ぎてから、身体のメンテナンスを始めた。歯や目の定期検査にいき、さらに健康への投資として骨盤矯正にも通い始めた。大きな問題もなく、今まで感じていたちょっとした不調も相談できたのでホッとしている。

これからもずっと付き合っていく私の身体。時々こうやって点検して、大事に扱っていこう。革製品みたいに、年を経るごとに味わいが出てくるような、そんな歳の重ね方ができればいいと思う。「いつもお疲れ様、これからもよろしく」そんな気持ちを込めて、自分を丸ごと大事にできるようにしたいものだ。t